
-私たちの想い- これからの きもの文化 の希望
今は昔のこと。昔々、あるところに……
物語がはじまるときによく聞くフレーズですが(映画スター・ウォーズも、“昔々、銀河のはるか彼方で……”)、その「昔」とは、いつを指すのでしょうか?
たとえば、ケータイやインターネットが私たちの日常生活になくてはならなくなる前(ポケベルなんてものもありました)。ちょっと前のようですが、当時、どんなふうに生活していたのかリアルに思い出せない。ためしにケータイもインターネットも使わない生活をしてみたら少しは思い出すだろうか。ずいぶんと昔のようにも感じられる……
私たちの「今」と「昔」を分ける生活意識は、日々の習慣や文明に大きく影響されるようです。昔話をひとつさせてください。平安時代から脈々と進化して受け継がれてきた日本のきものは、江戸で多様な広がりをみせたものの、明治の文明開化運動によって洋服が流行り出し、昭和10年代になると太平洋戦争の色が濃くなるにつれ、きものはもんぺに姿を変え、芋や米と交換されていきました。
そして、終戦を迎え、近代化へ走りだした時代。日本全体が衣・食・住にわたり輸入された概念で突き進む中、人々は洋服を好み、きものや、きものが体現していた日本の美意識――わび、さび、奥性、間、四季をまとう心――は久しく忘れ去られていきました。今は昔、三世代がともに暮らしていた家は、核家族化が進み、大人から子供へきものを着る技術がますます伝えられなくなり、きものを着られない子供がそのまま大人となり、綿々と伝えられていたきものを「着る」技の伝承が、はじめて分断された時代が訪れました。
そんな折、戦後も約20年たったころ、ようやく日本の伝統の美と、日本風土への順応性と、きものの合理性をもう一度見直す余裕を、日本人は持ち出しました。きものを着る「着付け」技術の習得を通し、日本人が久しく忘れてしまった和の心をふたたび伝えることをめざして、「着付け教室」が誕生しました。
しかし、着付け教室というビジネスがこの世に誕生して数十年がたった今、残念ながら最初の本質的な志は、昔の時の中に埋もれてしまいました。
日本古来の和文化の良さや、モダンでどこか懐かしくも現代的な新しい和のセンスに触れた若い人たちが、きものに興味をもち、着付けを習おうと大手の着付け教室に通うようになりました。ところが、そこで待っていたのは高額なきものを半ばむりやり買わされるという悲しい現実でした。
レッスン料が無料と宣伝する着付け教室もありますが、それは生徒にきものを販売した利益でまかなうためにほかなりません。とにかく生徒を集め、先生と生徒という師弟関係を巧妙に利用し、さまざまな方法で、高額なきものを生徒に買わせるのです。有料の着付け教室も同様のところがあります。レッスン期間中にしばしば販売会を催すので、生徒は参加しなくてはならず、先生や講師に囲まれ、きものを買うよう強く勧められる……(さらに残念なことに、こうした販売方法は「説得販売」と業界用語のように呼ばれ、珍しくないのです)
きもの販売のために生徒を長いあいだ通わせようと受講回数を増やしたり、初級コースだけではほぼ何も身につかないカリキュラムになっています。最近では、インターネットの投稿掲示板等でようやく実態が知られるようになりましたが、小さな着付け教室では、わざわざ「着物の販売はありません」と断り書きを入れなくてはならない状況があります。
一般の人たちは、そんな状況を知らずに着付け教室を選ぶことも少なくありません。そこで信じがたい現実を目の当たりにし、嫌な体験がしみついたきものを遠ざけてしまい、ひいては、きもの業界全体の長期的な衰退原因になっているといっても、決して過言ではないかと思われます。
いつのまにか、着付けの技術は、10回以上も通わなくては身につかないものであるかのように世間一般で誤解され、他者に着付ける技術の習得までセットにさせられてしまいました。それもすべて、減少の一途を辿るきものユーザーに高額なきものを何度も買わせるべく、生徒をできるだけ長いあいだ教室に通わせようとする事業者側の都合にすぎません。
それでは、実際に、きものを「着る」技術を学びたいと思う人たちのニーズはどうでしょうか。
着付け教室期間中に先生から勧められた高額なきものを買いたいでしょうか? 初級コースでは何も身につかない内容で受け続けたいでしょうか? 他者に着付ける技術も絶対にセットで習いたいでしょうか? そういう人もいるかもしれませんが、私たちはそう考えませんでした。
和文化やきものに興味をもった人は、まず、自分できちんと着られるようになりたい、と思うはず。できるだけ短いレッスン回数で、リーズナブルな料金で、しっかり基本を教えてくれるところがいい。きものの説得販売なんてもってのほか! ふと見ると、そうしたニーズに応えらえる着付け教室はなかなかありません。
きものを「着る」技の伝承が、ふたたび分断された時代が訪れていました。このままでは、そう遠くない将来、本当にきものを自分で着られる日本人はいなくなってしまいます。
それ以前に、きもの需要の衰退、職人の高齢化、深刻な後継者不足といった緊急の問題に出口が見つからないまま、本物のきものは新たに作られなくなってしまうでしょう。
ある日本史学者の言葉に「第二次世界大戦後から長い間、日本には『大きな物語』がありません。つまりイデオロギー、アイデンティティーが不足しているのです」という指摘がありますが、グローバルの均一化が加速する現代の波に、日本が古来大切に育んできた和の心・美意識は、なすすべなく飲みこまれるしかないのでしょうか?
私たちは、和の心は守るべきもの、守るだけの意味があるもの、と考えます。もはや、待ったなしです。今こそ、着付け教室がこの世に誕生した最初の志を、真摯に思い起こすときでした。きもの販売や他者に着せることを含んだ「着付け」ではなく、自分で着られるようになるための「着方」技術のシンプルな学びに特化したコンパクト・カリキュラムは、このようにして誕生しました。
私たちは「着方レッスン」の第一歩を、新宿にしました。新宿からはじめるのは、偶然ではありません。
新宿には、経済産業大臣指定の伝統工芸品である東京染小紋、東京手描友禅に代表される染色業が立地しています。新宿といえば、超高層ビル群や繁華街のイメージばかり強調されがちですが、一方にはこういった伝統産業が地場産業として息づいています。
きもの需要の長期的な衰退により、このままでは貴重な民族的財産がすたれてしまう危機感と、和文化を時代に合わせて変化させつつも大切な部分は後世へ残していきたい想いから、新宿区染色協議会の働きかけに、新宿区が応えてくれました。
また、学ぶ人たちにとって健全かつ親身なレッスンにしたい、という着方教室の理念をもとに、新宿区の後援事業としてスタートすることができました。やがては、新宿をはじめ、日本中の誰もが小学生のときにカケ算の九九を習うように、一度は日本の服であるきものを着る技術を身に着けてもらうことが目標です。
着方を日本人の教養に。
多生の縁をつないでいきながら、一人ひとりの生活のちょっとした彩りがきものの風合いとともにあり、和の心意気をかろやかに楽しめるよう、世の中の粋な仕組み作りに貢献したいと思います。
そして、あなたが、ときにはきものを着て、着ることによって和文化のささやかな発信者になってくれること。
インターネットを使わなくても、きもの姿で路地をぶらりとすれば、時を超えた異界の端境にあなたは片足を踏み入れているかもしれません。過去か未来か、リアルだけれど、どこか非日常的な異界の遊び――
襖や障子を開ける。縁側に座る。暖簾をくぐる。赤レンガの道を歩く。 普段と違った光の反射、壮麗な洋館、そよ風、神社の静謐とお祭り、雨の音、和洋折衷の楽天的な佇まい、ひっそりとしたあやしの何処か……
自らを磨き続ける志と他者を思いやる心という日本人のアイデンティティーを忘れず、華やかで活気のある人間交流に満ちたMACHIをともにつくっていけることを、私たちは願ってやみません。
最後になりましたが、着方教室の講師は、一般社団法人全日本きもの振興会の公認きものコンサルタントを代表講師にしています。全日本きもの振興会は、きもの文化検定等を主催している業界最大の団体ですが、かならずしも肩書が重要というわけではなく、私たちは個々の講師の着方技術やその他のスキルが「教える」レベルに達しているかどうかを、入念にチェックしています。
とくに、世間には従来の着付け教室等でかなり癖のある着方を身に着けてしまった講師もいるため(そうした癖はなかなか抜けません)、たしかに着方にはさまざまな方法があることも認めますが、やはり最初の学びは、なるべく癖のない基本が大切と考えています。
ご希望があればきもので遊びに出かけられるイベントのご案内や、きもの生地・仕立て等の選眼を養う講習会、きもの等の購入やクリーニングに困った場合の何でも相談窓口など、きもの初心者が自分のペースで、きものライフを楽しみ、充実させていくためのサポートをいくつかご用意しています。
そのほかにも、若葉マークのきもの初心者――「きもの若葉」向けのサポート・メニューは、みなさまと一緒に成長できるよう私たちの準備を整えたいと思います。
きもの若葉たちが、しなやかに色鮮やかな新緑へ育っていけることを心掛けて。 それもまた、多生の縁という言葉が不思議にあらわす、和楽なのです。
平成25年10月吉日